蒸気機関車を訪ねる【平塚市文化センター公園のD52 403号機】

↑文化センター公園のD52 403号機。この角度だと駅に停車している様に見える。

蒸気機関車訪問記
in 平塚市文化センター公園

閉ざされた蒸気機関車

形式 D52 403号機
保存場所 文化センター公園
製造所 日立製作所笠戸工場
製造年 昭和20年3月
保存状態 ★★★☆☆
見学自由度 ★☆☆☆☆

今回は、平塚市の文化センター公園に保存されているD52 403号機を訪問しました。

D52 403号機は昭和20年3月に日立製作所笠戸工場で製造され、昭和44年に平塚市に貸与され文化センター公園に静態保存されています。

D52と言えば国内最大出力を誇る貨物列車牽引用の蒸気機関車で285輌製造、現在では全国に7輌保存されていますが、なぜか3輌が神奈川県、2輌が静岡県で保存されています。

身近な場所に貴重な車輌がこんなにも・・・。

そんなD52 403号機、初めて出会った感想は

見学には申請が必用なので要注意!!

なんと平塚市博物館の方々により厳重に管理されています。

展示場所は、平塚市博物館に隣接するスペースで草木に囲まれている市民のお散歩コース。


↑森の中の駅に停車中!?

こんな感じで非公式側はいつでも撮影できます。

駅に停車しているみたいですね。

屋根も設置されているので雨天対策も万全です。


↑頑丈な扉が・・・。

でっ、入り口は・・・。

この様に強固な門で閉ざされ、ガッチリ鍵が施錠!
見学するには申込が必用です!!

現地に着くまで知らなかったので正直、焦りました(汗)。


↑入れないのかな・・・。

門扉にはこんな張り紙が・・・。

D52機関車の見学について
D52機関車の見学をご希望の方は、博物館事務室においでのうえ、所定の書類に必要事項を記入して申し込んでください。
◆見学時間は9:00~16:30です。
◆博物館に休館日には見学できませんのでご注意ください。
休館日:月曜日(月曜日が祝祭日の場合は火曜日)
年末年始
月末日
博物館くんじょう期間(6月中)
その他
※詳しい休館日は博物館までお問い合わせください。
平塚市博物館

平塚市博物館に申込みすれば、中に入って見学できますが・・・。

博物館の休館日は見学できないので注意して下さい!!

また、基本的に月曜日は休館日ですが・・・。

『その他』

の文字が気になります・・・。

見学を希望される方は、事前に休館日を確認しましょう!!


↑お問い合わせはコチラ。

と言うことで早速、博物館に連絡します。

幸いこの日は見学可能日でしたので申込するため博物館に向かいます。


↑博物館に向かいます。

平塚市博物館は『相模川流域の自然と文化』をテーマに活動している博物館。

平塚市の博物館なので入館料は無料です。

プラネタリウムがあるとのことで子供の自由研究に良さそうな施設ですね。

受付の女性にD52を見学したいと伝えたところ快く事務室に案内され、見学の申込手続を済ませませました。


↑もらいました♪

見学者には『D52 403号機関車』というレジュメが配られます。

機関車を見学される方々へのお願い
◆見て、触って、実感する展示をしていますので、場所によっては手や服等が汚れることがあります。ご注意下さい。
◆できるだけ近くで見て頂けるよう、柵等は最小限にとどめてあります。転落等にご注意下さい。(小さなお子様をお連れのお客様は特にご注意下さい。)
◆展示場内では、走ったり、ふざけたりしないでください。
◆展示場内での飲食・喫煙は禁止します。
◆退場の際は、門扉を閉め、博物館受付にお声をかけてください。
◆退場の際に他の見学者がいた場合は、「扉を閉めること」「博物館受付に声をかけること」を引き継いで下さい。

↑読み応えがありました!!

さすが博物館だけあり、裏面もビッチリです。

この機関車は昭和43年(1968年)6月まで勾配の多い御殿場線で活躍していましたが、昭和43年(1968年)7月1日に同線が電化されたので、その任務を終えて廃車となりスクラップされる運命になりました。これを心配した市内のSLファンや市民の方々、国鉄OBの人たちの機関車保存への熱意が実り、昭和44年(1969年)11月30日に国鉄から平塚市に貸与されることになり、国府津機関区から横浜ゴム専用線に運ばれて、この場所に移され展示され現在に及んでいます。
D52型蒸気機関車は昭和18年(1943年)に設計され第二次世界大戦末期に量産された大型の貨物用機関車D51の下回りに、さらに大型ボイラーを乗せた強力機ですが戦争中のため、資材の節約や工作の簡素化が計られ不備の点が多く昭和26年(1951年)から大幅な改装を行い、給水温め器が煙突前方に付き、木製の除煙板や、角形の蒸気留も一般並みになり、自動給炭機を取り付けるなど、すっかり面目を一新しこのような美しい姿に生まれ変わり、主に東海道線、山陽線などで貨物用・勾配用に活躍していた国鉄最大の蒸気機関車です。
この403号機は山口県の日立製作所笠戸工場で昭和20年(1945年)3月18日に製造された後、昭和27年(1952年)5月10日に改装されて昭和43年(1968年)6月末までの走行距離は1,100,097.7㎞でその距離は地球を27周半したことになります。
★蒸気機関車の起源と歴史
水が水蒸気に変化するとき体積は約1700倍に膨張します。密閉された容器の中の水を熱すると容器の中の圧力は非常に高くなります。こん原理を応用したのが蒸気機関車です。1769年フランスで荷車に蒸気機関を載せ、道路上を走るものが発明されました。1814年イギリスで新しい機関車が造られ炭坑と町の間にレールを敷き客貨の輸送が行われました。1829年リヴァプール市とマンチェスター市間の鉄道が開通し正式に蒸気機関車が採用されました。この時活躍したロケット号の威力と安全性が認められて蒸気機関車は新しい交通手段として世界中に拡がっていきました。
日本では嘉永6年(1854年)アメリカから模型の蒸気機関車が渡来したのが最初で明治5年(1873年)東京から横浜間の鉄道開通で初めて本格的に走り出したのですが機関車は殆ど欧米から輸入されていました。大正時代に入り国産車が出来るようになり逐次発展して陸上交通の原動力として国の文化、経済の発展に貢献して来ました。
★蒸気機関車の構造と仕組み
機関車は車輪、台枠、ボイラーから出来ています。ボイラーは火室、缶胴、煙室で組み立てられ火室の中で燃やされた石炭は、高温のガスとなり胴の中の煙管を通り周囲の水を沸騰させ圧力の高い蒸気となって高い所にある蒸気溜に集められます。発生した蒸気は更に高温とするため過熱管を通して過熱し効率を高めて使用します。
ボイラーの蒸気圧力が上がり①機関士が加減弁ハンドルを引く②蒸気溜に蒸気を気室から気筒(シリンダー)に送り③ピストンを前後に往復させ④この動きはクロスヘッド→主連棒→クランクピンに伝えられ主動輪を回転させ⑤横に結ばれている連結棒を動かし他の3個の動輪を回転させ機関車が走り出す⑥機関誌が逆転棒を動かすと気室からシリンダーへの蒸気の流れを変え機関車は後進する⑦重い列車を牽き出すときや雨天時にブレーキを掛けるときは機関士が砂弁を扱い圧力空気でレールの上に砂が撒かれ空転や滑走を防止するようにして運転します。

手続きが済んだので中に入ってみましょう♪

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